誰にも生まれ故郷がある。なぜだかわからないけど、自分が生まれた場所や、育った場所には強い愛着がある。大人になり、故郷を離れた人も、いつかは故郷に帰りたいと思う。
帰巣本能とでもいうべきか。もしかしたら動物には元々そのような回路が埋め込まれているのかもしれない。そうでなければ、ここまで強い愛着を持つことはないような気がする。
そう考えると、生まれた場所や育った場所ってとても大事だ。四泊五日の北陸ひとりドライブ旅をしている中でも、何度かそんなことを思った。もしこの街で生まれていたら、どんな人生を送ることになったのだろう、なんてことを考えた。
海沿いの道で前を行く地元ナンバーのバイク、どこからどこへ向かうところなんだろう。学生か、それとも社会人か、普段どんなことをして暮らし、今日この道を走らせているのか。
海鮮を売っている地元のお店、そこで働く若い子たち。その店に来る地元の子連れの家族。平日だからか空いた店内で、どちらも暇そうに時間を持て余している。
地方都市の商店街に面した複合施設、1Fはスーパー、2Fには飲食店、最上階には映画館もあるようだ。若い学生が楽しそうにアイスクリーム屋さんに入っていく。どこにでもいそうな女の子たちだが、楽しそうな姿と古臭いビルの雰囲気がアンマッチ。
東京のど真ん中だろうが、さびれた地方都市だろうが、その人にとって故郷であることは変わらない。でも、いろんな地方都市を旅してみると、やっぱ寂しい場所が多い。
駅前だというのに何にもない。駅ビルなんかもちろんない、あるのは小さなコンビニだけ。百貨店なんかももちろんない。商店街は閉まっている店が多く、郊外のロードサイドには全国的なチェーン店、日本全国どこでも見る風景。
なんだけど、ここで生まれ育った人たちからしてみれば慣れ親しんだ故郷の風景。
この日はゴールデンウイークの初日だったからか、キャリーケースを転がした若い子が目についた。駅前のロータリーでは父親らしき人が迎えに来ている。
ここで生まれたら、自分もこのような暮らしをしていたのだろう。ゴールデンウイークや夏休み、好き勝手に旅行に出かけるのではなく実家に帰る。
でも皆、帰りたくて帰るのだ。帰るところがあるって貴重だよな、当たり前のことだが、ホントそう思う。帰るところがあるから旅が成立する。日常があるから、非日常がある。
僕らはつい非日常的な経験ばかりを求めてしまう。それも必要だけど、大事なのは日常のほう。今の日常をどれだけ充実した日々にできるかが一番大事なこと。
非日常的な旅に出て日常の大切さに気付く。それだけ普段は気づかないということ。故郷や帰ることのできる場所も同じかもしれない。一つひとつを大切にすることが大事、そんなことを考えるオッサン。
幾つになっても成長していかないとねー、ただでさえ少ない未来がもっと少なくなっちゃうよ。頑張りまっす!