人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

への字口のオッサンにはなりたくない


性格は顔に出る、よくそんなことを言う。そりゃ40年も50年も生きてきて、笑ったり悲しいことがあるたび、感情を顔で表現してきたわけだから、人生の経験が顔の現れると言うのはよくわかる。

 

柔和な表情で、含蓄のある言葉をゆっくり静かに語ることができる、そんな大人な大人になりたいと思ってきたが、前述の通り一朝一夕になれるわけではない。また、そのようになりたいからといって、なれるわけでもない。

 

あくまで自分の性格、生き様、考え方、そんなものの積み重ねが顔に現れるのだと思う。僕は他の人からどう思われてるのかな、そんなことを思うけど、考え過ぎても仕方がない。少なくとも清潔感だけはあるようにしよう。ちゃんと髭を剃り、洗顔して、適度に散髪してこざっぱりとしておくことが大事と思っている。

 

最近、毎朝、フェイスクリームを塗るようにした。こういうものはベタついて嫌だなと思っていたのだが、かえってサラサラなお肌になると聞いて使ってみた。実際その通りだったので、何事も試してみるものだなーと57歳にもなって勉強している。

 

クリームの効果があるのかどうかわからないけど、肌艶が少しばかり良くなったのではと思っている。いつ思っているかと言うと、電車の中で窓に映る自分の姿を見て思っている。以前、会社の帰り、窓に映った自分の姿を見て、おののいた。疲れて生気のないおじさんの姿がそこにあったからだ。

 

それから、自分でできることはした方がいいと少し気にかけるようになった。窓に映る自分の顔を見て、自然に微笑んだりしている。気持ち悪いおっさんだと思わないでほしい。オッサンもそれなりに努力しているのだから。

 

あと、電車に乗っていて良く思うのだが、高齢のおっさんって結構険しい顔している人が多い。それこそ、これまでの人生がそうさせているのかもしれない。いわゆるアレだ、口がへの字になっているオッサンが多い。

 

会社の中にもいるでしょ、偉い人なんてそうだよね、いつもムッスリしていて厳しいことを言ってくるオッサン。まあ、それが役目なんだから仕方ないけど、そういう人は基本、口がへの字なっている。

 

こういうおっさんが引退すると、ただの頑固な高齢者となって、世の中に繁殖することになる。そういう人を電車の中でよく見かけるわけ。

 

僕はこういう「への字口」のおっさんにだけはなりたくないなーといつも思っている。辛いことや難しいことがあっても、それをココロの中に収めて、柔和な表情をしていたい。

 

感情は素直に表現した方がいいのじゃないか、そう思う人もいるだろうが、そんな無邪気さが魅力として認められる大人になる方が難しい。単なるわがままおじさんになるのが関の山だと思う。

 

辛くても悲しくても、鷹揚な対応ができる柔和な表情をした大人になりたい。それが包容力だと思うから。自分のことだけを考えるのではなく、人に優しく慣れる自分。今さらながらそんな大人になりたいと思っている。

支笏湖でカヌーをする人(こんなことできたらいいなー)