オッサンだから、定期的に病院通いもしている。というか、持病がなくて健康丸出しのオッサンなんて世の中にいないと思う。
先日、オッサン仲間でゴルフにいったのだが、昼食時の話題はほぼこれ。歯医者通いを続けているとか、駅で転んでメガネが壊れたとか(私だけじゃないらしい)、そんな話で盛り上がり(?)気がつくと後半のプレータイムになっていた。
よく聞く話だけど、オッサンというか高齢者は、何でこうも病気の話ばかりをするのだろう。ある意味、不幸自慢のようでありながら、皆に同意を求め、自分だけじゃないんだと確認して安心する場になっているような気がする。
オッサンって悲しい生き物だよね。もっといたわって欲しいのよさ。
僕は半年に一回、近くにある比較的大きな病院で検査を受けている。先日も検査を受け、その結果を聞きに病院に訪れた。待合室で順番を待っていると隣にいるおじさんに声をかけられた。
70歳くらいだろうか、診察は何時から始まっているのかとか、自分の番号はまだ表示されていないようだとか、そんな他愛のない話だったが、東北訛りがあることにすぐ気がついた。
おじさんは、なんと秋田からやって来たらしい。数年前にがんになり、地元の病院にはさじを投げられたのだが、セカンドオピニオンや有名な先生を探して、この病院に辿りついたとのことだった。3か月に一度、検査を受けにここ横浜まで通っているが、今は半年に一回になったと笑っていた。
秋田からじゃ大変ですね、と言うと、もう仕事も辞めたし、ここに来ることがモチベーションにもなっていると屈託なく笑う。そこまでして、生きようと思ったのは高齢の母親がいて、ひとりにはさせられないからもう少し生きなきゃと頑張ったとのこと、その母親も今年の1月に亡くなったことなどを淡々と話されていた。
こんないい病院が近くにあっていいね。この病院は僕の家から歩いて20分ぐらいのところにある、なんなら自宅のマンションから見える場所だ。遠い秋田から、生きたいと真に願ってここに来ているおじさんを思い、自分は恵まれていたことに初めて気づく。
当たり前と思っていることが当たり前じゃない、色んなことに気づきたいと思いながら、そんな身近なことにも気づいていなかった。
そうこうしていると、僕の順番が呼ばれ、診察室に入った。検査の結果は問題なく、また半年後の予約を入れて終了した。
診察室を出るとおじさんがこちらを見る。次はおじさんの番だ。僕は、検査の結果、問題なかったことを伝えた。おじさんは、「良かったですね、また今度お会いしましょう」そういうと診察室に入っていった。
つい安堵して、自分の検査結果に問題がなかったことを伝えてしまったが、これから診察を受けるおじさんに対して、デリカシーが足りなかったとその時気がついた。
病院からの帰り道、なぜかおじさんのことばかりを考えてしまった。診察が終わるのを待っていればよかったのかな、なんてことも思ってしまったが、次の予定があったので仕方がない。
それにしても、訥々と自分のことを話すおじさんの声は温かみがあり、優しさを感じさせた。病院というシチュエーションがそう感じさせたのかもしれないが、これが人間味と言うやつなんだろうなと思った。
おじさんのように自分のことや考えを自然に話せる人を見ると羨ましく思う。僕もそんな人になれるのだろうか?子供の頃に自分が接した大人は、みんなおじさんのような大人だった。
僕は見かけだけオッサンになったけど、子供の頃から成長していないなあーとあらためて思う。でも、まあ仕方がない。これが自分なのだ、オッサンだって成長が必要ってこと、前向きに捉えていくしかない。