人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

昼間の電車、早朝の電車



久しぶりの出張、羽田発12:30の便で博多に向かう、夕方の会議とその後の水炊きが目的だ。家から羽田空港に向かう電車、昼間なのでガラガラかと思いきや意外と混んでいて座れない。昼間でもけっこう乗ってるんだなー、そう思って周りを見渡すとほぼ8割が高齢者。

自分だって57歳だから高齢者予備軍だろと突っ込まれそうだが、どう見ても70代くらいの人たちが多い。。みんなどこ行くんだろう?

これって、みな敬老パスで乗ってるんだよね。横浜市が実施している敬老パスは70歳以上が所得に応じて、市営や民間のバス、市営地下鉄などが利用できるらしい。月の平均利用回数は一人当たりだいたい20回!山中市長は75歳以上の敬老パス無料化を公約に掲げているそうだ。

はー、大盤振る舞いでやんすなー。まあ、出かけることで健康促進出来て介護予防にもなるということなんでしょう。でも今の70歳以上って、年金とか社会保障の面でただでさえ恵まれている世代なのにイイよなー。

みんなこの敬老パスを使ってぶらぶらと遊びに行くんでしょう。まあ、それはそれでいいんだけど、なんか「暇」で「ただ(無料)」だから出かけてる感をすごく感じてしまった、僕がひねくれてるだけかもしれないけどね。

ちなみに僕の父は88歳になるのだけど、今も仕事を続けている。小さな町工場(いまは弟が経営している)に毎日通い、職人として働いている。子供の頃からずっとそういう親の姿を見てきたからか、いくつになってもその姿に違和感はない。

違和感を感じるのは、昼間の電車に「暇」だから「ただ」で乗っている(と思われる)高齢者たちの方だ。女性は友人たちと一緒で賑やかだが、男性は大概ひとり、しかも何かうだつの上がらない感じがする。生気が感じられないのだ(相当失礼なことを言っている)。

仕事でもすればいいのに。。。もうすぐ定年を控え、引退後のバラ色の生活を妄想する自分も似たようなものだが、そんなことを思ってしまう。たぶん仕事云々にかかわらず、したいコトがあるかないかの違いだと思う。

「暇」で「ただ」だからではなく、「時間がある」から「したいコトをする」、これらは大きな違いだ。意識するかしないかだけでも全然違う。

父は僕と会うたびに仕事の話をしてくる。「最近は仕事が暇でねー、今週は土曜日も休みだよ」なんて言われるとお気楽サラリーマンの僕はココロが痛む。でも父にとってはそれがしたいこと、やりたいことなのだろう。

だから僕も定年を迎え仕事は辞めたとしても、したいコト、やりたいコトに取り組む毎日にしたいと心底思う。もしかしたら、それが仕事になるかもしれないけど、その時はその時だ。やりたい仕事をする、やりたくない仕事はしないことを徹底するだけだ。

先日、秩父へゴルフに出かけた時、池袋7:30の特急に乗るために早朝の電車に乗った。さすがにこの時間はガラガラなのだが、この時も意外と高齢者の姿が目に付いた。またアジア系の外国人の方も多かった(観光者ではない)。きっと夜勤明けのような気がする。

これまた勝手に思った。やりたい仕事のためにこんな早朝の電車に乗っているのだろうか、それとも生活のためなのだろうか。

もちろん人それぞれ、生き方も色々。やりたいことだけをする、やりたい仕事だけをするというのは難しいことなのだろう。やりたくなくてもしなければならない時もある。だから人生は難しい。

でも、ひとつだけ心に決めたことがある。やりたいことができるのにやりたくないことをする、これだけは絶対やめようということ。絶対忘れないようにしよう、そう思った。

こういうのんびり電車が良いよね、新潟の桑川駅にて