人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

世の中の大半の人は暇


僕は今年で58歳になる。少し上の先輩や、同期なんかが、定年を迎えて辞めていくケースがみられるようになった。雇用延長を選択するものもいれば、潔く辞めていくものもいる、まさしく人それぞれ。

 

もっと仕事を続けたいけど仕方なく辞めていく人もいれば、さっさと環境を変えて新たな働き口を求めて活動している人もいる。また、仕事は程々で定年後の生活をエンジョイしたい、そんな人間も一定数いる。

 

ちなみに雇用延長を選択した場合、納得いく仕事が得られるかどうかは別にして、一般的にギャラは半額以下となる。今後、見直されるのかもしれないが、現役時と同じ仕事をしていても給料は大幅に下がる。この辺の仕組みはまだ発展途上なのかもしれない。

 

でも、60歳以降で今の半分でも給料がもらえれば、それで十分という考え方もあるらしい。先輩がそう話しているのを聞いて、そんな考え方もあるのだなと思ったが、なんか釈然としない。

 

だいたいの人は定年を迎える頃には、ローンが終わっていたり、子供が独立したりで、これまでと同じ収入は必要なくなる。収入が半分になったとしても、それなりに生活は送れるらしい。

 

そこそこのギャラをもらえれば、慎ましやかに暮らしていける、そういうことなのだろう。でも慎ましやかってなんだろう?

 

贅沢もせず、必要最低限で暮らすということだろうか?

 

先日、テレビを見ていたら、備蓄米を購入するために早朝から並ぶ人たちの姿が放映されていた。さすがに昨今のお米の値上がりは異常だけど、だからと言って何時間も並んで備蓄米を購入するという行動はどうなのだろう。その時間、バイトでもすればより美味しい銘柄米が買えるのではないだろうか?

 

こんなこと言ったら、怒られるかもしれないが、世の中の大半の人は暇だ。暇だから仕事をしている。食べるため生きていくために仕事をしていると言われるかもしれないが、食べることができれば、みんな仕事なんてしないだろう。実はそれがシニアの実態だ。

 

贅沢さえしなければ、慎ましやかに生活していくことができる。現役時代に比べて時間はたっぷりある、というか暇だ。暇だから備蓄米を購入するために何時間も並んだりする。さっきも言った通り、そんな時間があるならば、もっとしたいことをすればいい。

 

シニアだから、子育てが終わったから、住宅ローンが完済したから、そこそこの仕事でそこそこのギャラをもらえればいい。そういうことではないと思う、現役もシニアも時間は有限で、その価値は等しい。その時間をどう過ごすかは極めて重要だ。

 

したいことをする。当たり前だけど、それが大事だ。定年は決して終わり、引退ではない。新たな人生を歩むべきタイミングがやってきた、単にそういうことだと思う。だから何をして生きるか、どんな生活を送るか、自分で考え、自分で決める必要がある。

 

慎ましやかな生活を送るために定年後の人生があるわけではない。当たり前のことだけど、それに気づくことが大事だ。人と同じようにして生きる、社会の常識に準じる、そういうことでは満足な人生は送れない。考えるか、考えないかは自分次第、全て自分。楽しんでいこうじゃないの、そう思う。

ガッツリいこうぜ(お昼は結構食べれる)