人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

日常があるから、非日常を楽しむことができる


前回、小田原1dayトリップの話を書いたが、時には日常を離れて非日常を経験することは大事なこと。いつもなら働いてる時間、そんな罪悪感を優越感に変えて、楽しいひとときを送るのはサイコーに楽しい。

 

でもこれも日常があるからなんだよね。日常があるから非日常を楽しむことができる。非日常がいつもの毎日になったら、それが日常になってしまう(あたりまえ)。

 

よく定年を機に移住したりなんて話を聞く。海の近くに住みたいと思っていた、なんてね。確かに家のベランダから海を見ながらコーヒを飲んだり、愛犬と浜辺を散歩したりなんて、羨ましくて考えただけでよだれが出る(愛犬もいないけど)。

 

でもそれが、毎日の景色になったら果たしてどうなのだろう。徐々に新鮮味も薄れ、やっぱりいつもの平凡な毎日化が進んでしまうのではないだろうか。となると、あの素晴らしい非日常の瞬間が、いつもの平凡な日常へとランクダウンしてしまうと言うか、もっと言えば失ってしまうような気がして怖い。

 

非日常は非日常だからこそ価値があり、それを楽しむためのとっておきにしておく必要があるのではと思ったりする。

 

定年退職して仕事に向かわなくなると、あー仕事がしたいなー、会社に行きたいなーなんて思ったりするのだろうか。いつもの通勤電車が非日常な瞬間に代替されたりするのだろうか?いやーそんなことはないと思うが、経験したことがないのでよーわからん。

 

こんなことを考えると、定年後はどんな日常を送るべきなんだろうかと思ったりする。これまでの日常は間違いなく変わる、そんな中でとっておきの非日常が無くならないような日常を送らねばならない。これって結構難しいのではなかろうか。

 

うーん、人生って難しいな、そんな中学生みたいなことを考えるオッサン58歳。

 

でも、非日常の楽しみって一つではないから、たくさんの非日常をコレクションして、毎日異なる非日常を味わえばいいのではないか、なんてことを考える。そうだ、きっとそうに違いない、そう思って非日常リストを作ることにした。

 

死ぬまでにやりたい100のこと、そんな映画があったが、そんな大したことでなくていい。ちょっとした非日常でいいのだ。海岸で日の出を見ながらコーヒーを飲む、森でキノコ取りをする、自転車で海まで行ってみる、動物園に行ってビールを飲む、窓を全開にしてターンパイクを走る、夏のプールに一日中浮かんで空を見る、などなどなど。

 

こんな非日常をコレクションして、日替わりで楽しむのだ。なんか楽しそー。定年まであと2年、いつもの日常が終わるまでの間、せっせと非日常リストを作ることにしよう。

 

オッサンはこんなポジティブな毎日を送っているのだ、偉いでしょ(暇なのかも)。

締めのお蕎麦、こういうのがいいんだよねー