人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

リトル自分と共に生きる


僕ら人間はよくできたもので、どんな環境にも慣れてしまうことができる。だからブラックな企業であったり、劣悪な労働環境であっても、それにいつしか慣れてしまい、当たり前とさえ思ってしまう。

 

逆に裕福な環境に置かれると、それはそれで当たり前と思ってしまう。何不自由ない環境、今日は何をしたいか、何を食べたいか、自分の意思で選ぶことができる。

 

どちらも真逆な環境ではあるが、いつしか人は置かれた環境に慣れてしまう。適応能力があるとも言えるが、僕はこの「慣れ」が一番怖いと思っている。

 

慣れてしまうことは、自分の感性が削られてしまうことだ。最初はあんなに驚いたり、感動したのにそれが当たり前になってしまうと、その驚きや感動がなくなってしまう。その対象は何も変わっていないのに自分のココロ、感性が変わってしまうのだ。

 

それを補うのが客観性。常に違う位置から、俯瞰した立場で自分を見つめる第二の自分、リトル自分の存在だ。このリトル自分を育み、育てることはとても大事なこと。

 

僕は時折、このリトル自分に問いかける。「なあ、今の僕っていけてる?」「自分が思っていることって正しいのかな?」こんな感じで自問自答する。リトル自分が答えを返してくれることもあるし、一緒になって悩んでくれる時もある。

 

こいつ頭おかしいんじゃないかと思われるかもしれないが、多かれ少なかれ全ての人はそんなリトル自分を持っていると思う。意識してるか、いないかの違いだけ。

 

こんなリトル自分に先日聞いてみた。「なあ、僕の毎日はこんな毎日でいいのかな?」「あと2年で定年だけど、それを待ってていいのかな?」「定年後、僕は暮らしていけるのかな?また今と同じように仕事優先の日常を過ごすのかな」。

 

めずらしくリトル自分は何も答えてくれなかった。自分で考えな、そんな態度で遠くを見ている。

 

たぶん、リトル自分は経験したことをインプットに自分が何をすべきか答えてくれる、または一緒に考えてくれる。だから経験していないこと、未来のことについては答えてくれない。一緒に悩み考えてくれることで精一杯だ。

 

だから僕はリトル自分と一緒に経験を積まねばならない。一緒になって自分のこれからを考えていかねばならないのだ。そんな相棒がリトル自分、僕の分身だ。

 

僕はリトル自分と一緒に旅に出る。非日常に出会う旅。そこで知らないことや初めての感動に出会う。そして、それらが僕らの未来を作る。

 

「なあ、リトル自分、あの景色はすごかったな、初めて見たよ」「僕はあの景色の何に感動したのだろう」「そうか目に見たものだけはなくて、その土地の匂いや風の感触、空気感、そんなものが僕の五感を震わせているんだね」

 

こんなふうにリトル自分との会話を続けながら、人生を一歩一歩歩み続ける。満足のいく人生を送るためには旅が必要だし、非日常に飛び込んでいく勇気が必要だ。そんな経験をこれからも積んでいきたいじゃないか。

 

タイムリミットのある人生、一日一日を大事に楽しく駆け抜けていきたい。そんな今日を過ごしているオッサンとリトル自分との楽しい一日だ。

根性根性、ど根性!