「雨の日にはクルマをみがいて」という五木寛之さんの小説がある。もうずいぶん昔の本だが、ステキなタイトルだなーと思って印象に残っている。
僕は雨の日が好きだ。なにせ外に出ないでいい、そう自分に言い聞かせることができる。雲ひとつないいい天気、それも休日であれば、どこかに出かけねばと思ってしまう自分がいる。昔と違って家族にどこかに連れて行けと言われることもない、自分自身がそう思ってしまう。なぜだか、モッタイナイと思ってしまうから不思議なもの。
雨の休日は一日中大好きな家の中でボーっとしていることができる。考えれば雨って不思議な現象だ。何せ空から水が滴り落ちて来るのだ。窓辺に座り、その超常現象をボケっと見るのは至福の時間。
それになぜか、雨の日はココロが落ち着く。そう思って調べてみると、雨の日は雨音や柔らかな日差しのおかげで副交感神経が優位になり自然にリラックスできるらしい。やはり何事も理由があるのだね。
それに雨は街の汚れを洗い流してくれる。実際、大気中の埃や汚染物質を洗い流す効果があると思う。最近は集中豪雨もあるから、あまりお気楽なことばかりも言っていられないが、雨が降った後に街中を歩くと清々しさを感じる。僕のココロの汚れも洗い流してくれればいいのにとおセンチな気持ちになる。
だからなのか、みんな嫌がるけど、雨の中でプレーするゴルフは気持ちが良くて好きだ。ずぶ濡れになりながら、いつの間にか自然と一体化するような感覚になる。なんか五感が研ぎ澄まされ、体とココロが洗い流される感じがする。だからたまには傘を差さないで雨に打たれることもお勧めする、自然との会話ってやつだ。
そういえば、外人ってあまり傘を差さないよなー、自然と共存する意識が染みついているのかもしれない。たんに日本みたいにたくさん降らないからかもしれないけどね。
雨の日は外に出なくていいから好きだと言ったクセに、雨に打たれる話になっている。ついでにもう一つ言うと、雨の日にクルマに乗るのが好きだ。
外は土砂降りの雨、僕は安全地帯のクルマの中にいる。しかもクルマを運転し好きなところに行くことができる。車窓には雨の中を歩く人々、我ながら性格が悪い。
それでも雨の日にクルマに乗ることは、「どこにも出かけなくていい」「ボケーっと非日常的な雨を見てリラックスできる」「大好きな家(クルマ)の中でひとり過ごせる」、そして「大好きなクルマに乗って車窓の景色を堪能できる」と僕の大好きなことが全部乗せになった素敵な時間だということがわかる。
こう考えると、何気なく雨の日にドライブに行きたくなる気持ちが科学的に(おおげさ)証明されたようで気持ちがいい。それにBMW M440iは雨の日に真価を発揮する。普段のジェントルな走り味が雨の日にはさらに増して、ヌメーっと上品この上なく駆け抜けることができる。4WDだしね。
M440iにはサンルーフがついているから、たまに頭上を見ると降りつける雨を確認することもできる。この非日常感がたまらなく好きで、しかもその光景は美しい。やっぱ、クルマって最高の存在だと思う。
甲斐バンドに「レイニードライブ」っていう曲がある。若いころ、この曲を聞きながら女の子とドライブをすることに憧れた。いま聞いてもその時の気持ちを思い出すことができる。ふたりだけの空間で、好きなところに行くことができるのだもの当り前だよね。
五木寛之さんの「雨の日にはクルマをみがいて」、はクルマにまつわる色々な物語が語られている小説だ。僕も小説は書けなくても、雨の日にはクルマに乗って、色々なことを気づき感じていきたい。あー楽しい。