ひとり時間が好き。
家でまったりひとりの時間を自由気ままに過ごす、あー、考えただけで最高、至福の瞬間。だからなのか、カフェなんかでくつろいでいる人たちの気が知れない。
外にいると当然ながらまわりの人の目が気になる。あくびもできないし、鼻くそだってホジホジできない。見栄っ張りな僕だから、優雅にお茶している雰囲気を醸し出さなければいけないなどと、いろいろ気になる(これは僕の性格のせいだ)。
とはいえ、これは常に自分を客観的に見ようとしているからだ(前向き)。だって自分勝手な大人にはなりたくないもの。
よく考えたら僕の好きなこと、クルマでのドライブや、ひとり旅行のホテルで過ごす時間は、自分だけの空間。この空間で自分だけの時間を過ごす、それが楽しいんだね。人に気を使わない、まわりにも気を使わない、素の自分で好きなことをする。そう、自分が好きなことには理由があるのです。
でもだからこそ気をつけていることもある。ひとり気ままとっても、決してだらしない自分にならないようにしている。服装もそう、誰も見てないからと言って適当な格好で過ごすことはしない。
くつろぐとはいっても、だらしなく寝そべったりしない。ひとりで食事をするときも、ちゃんとお行儀よく食べる。インスタントラーメンだからと言って鍋のまま食べたりしない。面倒だからとお箸でデザートを食べたりしない。
こういう所作って大事、だって知らないうちに表に出てきてしまうものだから。誰も見ていないからいいか、なんて思うと、それがいつの間にかいつもの自分になってしまう。
人を見かけで判断しちゃいけないなんて言うけど、僕は判断できると思う。外見は人を表すとも言うしね。性格は顔に出るし、その人の持つ雰囲気はカラダ全体にも現れる。
僕くらいの年齢のおじさんは口が「への字」になっている人が多い。会社の幹部なんかでも多いんではないだろうか。自分の意見を持ち、相手に媚びない、そんな姿勢が会社生活には求められるけど、引退してそのままの状況を続けると巷にはびこる頑固じじいになってしまう。身近にもいるでしょ。
また、靴を見るとだいたいその人の性格やセンスがよくわかる。革靴であれば、きれいに磨いてあることはもちろんだけど、おじさんであれば年相応に装飾の少ないものを履いていると品がいいし、その人のセンスとなって表れる。
偉い人でも、踵がすり減っていたり、汚れていたり、くたびれた靴を履いている人を見かける。こういう人は仕事ができてもセンスがないから、あまり価値観が合わない人が多い。
僕がセンスがいいと言っているわけではなくて、そういうところに気が回らない人は、どこか自分勝手だし、無頓着だから、話していても気が合わない。これはだいたい当たっている。
人は見かけで判断できる。だから着ているものも気を使うし、自分の所作や、そこから出てくる雰囲気にも気を使う。決して自意識過剰なのではありません。
そんな自分でいるためにはひとり時間が重要なんだと思う。気は抜いても手は抜かず、普段の自分と変わらない自分でいること、それがありのままに自分につながるのだと思います。