人生はロングドライブ

いつの間にやら人生後半、気づき感じる日々を疾走中

働き方が変わった



僕は今年で57歳になる立派なサラリーマンだ。だけど、この4~5年はスーツを着ていないし、ネクタイもしていない。

コロナをきっかけにして、いろんな会社制度が見直された。ドレスコードフリーとかいって服装の自由化も進展した。最初は抵抗があったけど、すっかり慣れてしまった。最近はどんどんラフになってきて、今年の夏なんて暑すぎたから、本気で短パンで会社に行こうかと思ったくらい。


来客があっても気にしない。応接室に入ると、先方が全員スーツにネクタイでビシッとしていてビビる時もあるけど、今さら気にしても仕方がない。もう、こういうものだと割り切る(ちなみに外資のほうが服装はフォーマルです、わざとでしょうね)。

 

しかし、良い時代になったものだよね。規則や慣習にがんじがらめだったサラリーマン生活が大きく変わった。中でも最たるものがテレワークだろう、働く時間自体が自由になってしまった。

若いうちからこんなだったら良かったよなー、何で今ごろ始まったのさ、そう思うが仕方がない。それに50後半を迎えて、カラダの衰えが著しい昨今、このような働き方ができて本当良かったと思う。昔のままだったら耐えられなかったかもしれない。

 

逆に今までは何だったのかと考える。朝8時前に会社に着き、忙しくなくても夜の8時くらいまでは会社にいた。台風が来ても雪が降っても会社に行った。満員電車に揺られてぎゅうぎゅう詰め。そして暑かろうが寒かろうが、スーツにネクタイ。。。

 

こんなの、なんの意味もなかったんだね。いや意味はあった、会社に従順な社員を育成するには規則が必要だ。それが会社の常識、社会の常識だった。でも、もうそんな時代じゃないとみんなが気づいた、もっと本質的に考えることがあるだろうって考えられるようになった。ビバ!働き方改革、ビバ!テレワーク。



ちなみに、仕事もさぞ楽になっただろうと思われがちだが、実は効率が無茶苦茶上がっているので働く総量は増えている。リモートで何でもできる、仕事の仕組み自体がほぼデジタル化されているからだ。朝から晩まで時間に余裕がないというか、余白がない。


だから、働きたい人は無茶苦茶効率的に働ける。逆にサボろうと思えばいくらでもサボれる。面白いことにリモートの働き方が常態化した結果、この二極化が進んでいる。うちの会社でも、出社しない奴はとことんしない。もちろんサボっているわけでなくて、手を抜いている奴。

必要以上に仕事をしなくなり、自分のできる範囲の仕事をリモートワークでこなす。そりゃラクチンだものね、だからこういうのは賢い奴に多い。気持ちは分かるけど、モッタイナイよなーと思う。せっかく実現した自由な働き方に新たな手段、これを活かすか活かさないかは自分次第なのに、それがわかっていないのだよね。

結局、この手の人間が多くなると会社は何をするかというと出社を奨励し始める。対面のコミュニケーションを活かすとか何とか、もっともらしいことを言うけど実態はこんなところ。そうして昔の旧態依然の昭和な社会に戻っていく。あーあって感じです。

これって会社もだけど、そこで働く社員にとってもモッタイナイ。新たな環境や手段を活かせないってことは、双方が成長の機会、変革の機会を逸してしまうことになるのだもの。

実はこれ、定年後の生き方も同じだと思う。これまでのサラリーマン生活から離れてひたすらラクチンに過ごすのか。時間的な余裕を活かして新しい何かに取り組むのか。サラリーマン生活で学んだ新たな働き方の手段、これをどう活かすのか。まさしく、活かすか活かさないかは自分次第。


リモート環境に甘んじて手を抜いてしまう社員は、結局、辞めていく人間が多い。外面の良い外資とかに転職していく(冒頭に服装の話でもしたように外資の方が厳しく旧態依然としているのにねー)。

 

やりたくない仕事や嫌な仕事から逃げてしまうことは簡単だ。でも、それじゃ何も残らない。仕事だけじゃなくて、プライベートも一緒。結局、「一生懸命」取り組めない人間は、何をしても同じ。

 

だから定年後も「一生懸命」を止めちゃいけない。もちろん仕事以外もだ。そして旧来の慣習に囚われず、新たな手段を活用していくことが大事。そう、一生懸命のイノベーションを起こすのだ。それは「楽して一生懸命!」。これからは、こんなスタンスで臨むことが必要なんではないかと思います。


どんなことができるだろうね、そう考えると楽しくなる。やっぱ、定年後に生活には期待しかない。お気楽だねー。そのためにも今をもう少し頑張ろうっと。

かつての自席、いまは固定の座席もない