人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

仕事への情熱


年度末、そして年度が明けてゴールデンウイークを超えて仕事がひと段落した(ような気がする)。二日くらいぽっかり仕事の予定がない日が続いた。休んでしまえばいいのだが、そのように計画していなかったこともあり、テレワークで仕事をすることにした。

 

なのだが、するべき仕事はあっという間に終わってしまい、手持ち無沙汰になった。いつもなら、あれやこれやと考えて、自ら仕事を作りだしていたのだが、なぜだかそんな気にならない。

 

近い将来、定年を迎えた時に「もう十分働いた」そう思えるように頑張ろう、そう思ったばかりなのに不思議な感じ。

 

もしかしたら、これが「老い」なのだろうか。体力だけでなく、気力が衰えてしまったのかもしれない。なんか仕事に対する「情熱」、そういったものが出てこない。

 

なのだが、そもそも仕事に「情熱」を持って取り組んでいたのか?面倒くさい仕事、仕方なくこなしてきたのがこれまでだったのではないか。だから定年を迎えたら、すっぱり仕事から離れ、したいコトだけして生きていく、そう思ったのではないか。

 

うーん、なんでだろ?そう思って考えてみた。

 

確かに仕事は好きではない、どちらかというとキライだ。でも根がまじめだから、一生懸命仕事をしてきた、そうしないと人並みに仕事ができないからだ。だからこそ、なんとかサラリーマン生活を続けてこられたのだと思う。

 

その一生懸命、それが薄れているのかもしれない。これまたなんでだろうと考えてみた。するとあれだ、仕事に対してというか、会社に対しての愛着が薄れている、そんなことに気がついた。

 

僕の勤める会社は、どちらかと言えば真面目な人ばかりの昭和な会社。不器用だけど、それなりに業績を作ってきた会社。それが、最近は巷の流れに乗って、自由な働き方、ジョブ型へ移行が進められ、ビジネスのポートフォリオの見直しも行われている。

 

それはそれでいいのだが、そういう施策が進むにつれ、きれいごとばっかり言う人間が増えてきた。中途採用の人間も増えているのだが、明らかに要領だけよくて、スキルというかビジネスマンとしてのレベルがイマイチの人間が増えている。

 

それに付け加えて、若返りがドンドン進んでいる。まあ、これも仕方がないことだけど、若返ることが目的になっている感が強く、オッサンから見た納得感はどうしても低くなる。

 

前回、定年を前にやめていく同期が「もういいかな」と思ったという話を書いたが、その背景はこういうことなのだろう。何かわかるような気がしてきた。逆にオッサンとしての感受性が低かった自分に反省だ。

 

でも、これも会社に依存しているからこう思うのだと思う。オッサンはあと三年もすれば定年になるのだから、多かれ早かれ会社からは去る。だったら、会社がどうしようが自分にとってその優先順位は低くてよい。結局、自分が何をしたいか、何をするかだ。

 

といいながら、40年も務めてきた会社が変な方向に行ってしまいそうなのはチト寂しい。ここであきらめるのか、自分ができる事を頑張ってするのか、だと思う。

 

そう思うと後者だよな。あと三年だろうが、自分のできる事は頑張って取り組もう。でも会社より自分、情熱を振り向けるのも自分が優先だ、それは徹底していきたい。

 

こうして悩むのもオッサンならでは。酒飲んで愚痴るだけではつまらないし、自分のためにもならない。だから自分のため、そう思ってアンテナを高くして「情熱」を絞り出して行こう。そう考えることにした。

たまたまやっていたアンパンマンショー、見てたら何か勇気が湧いてきた(変なオッサン)