世の中は無駄でできている、そんなことを言った人がいた。確かに仕事ひとつをとってみても、無駄で非効率な仕事、意味がないと思われる仕事が世の中にたくさんある。
だけどやっている方は至ってまじめ、自分がやるべきことに真剣に取り組んでいる。だってそれで生活の糧を得ているのだから当たり前、世の中に必要か必要でないかなんて当人からしてみたら関係ない。はた目には無駄に見えても自分にとっては必要なこと、そんな事ってよくある。
フードロスの問題だって一緒だ。毎日大量の食べ物が廃棄されている、飽食の時代なんて言われるけど、作ってるほうからしてみれば、それでお給料をもらっているわけだ。もし、必要な分しか生産できない、売ることができない、そんな社会が実現されたら、いままで物を作って給料をもらっていた人たちは生活ができなくなってしまう。
違うものを作ればいいじゃないかと思うかもしれないがそんな簡単じゃない。それに必要なものを必要な分しか作らない社会って、徹底的に需給が管理された社会になるってことだから、当然ながら自由も制限されることになる。AIの活用がはびこる社会はそんな方向に向かっているのかもしれないけどね。
こう考えると世の中には無駄が必要だ。もちろん、無駄がいいというわけではなくて、何ごとにも良し悪しがあるってこと。そう考えると僕らに必要なのは「無駄」を否定することではなく、もっと「余裕」を持つことだと思う。ココロに余裕を持つってこと。
サラリーマン生活を長く続けていると、同じ会社の中でも仕事の良し悪しが見えてくる。そんななか、単に案件に恵まれ成績を残しているだけなのにスタッフや直接売り上げに結び付いていない仕事をしている人たちを見下し始める人がいる。あいつら稼いでいないくせにとか、無駄な仕事ばっかしてとか、何かといちゃもんをつけ始める。本当の意味での仕事の良し悪しの判断ができない人たち。
単に与えられた案件で成果を出すのではなく、そのような案件を生み出すために組織的な仕組みを作ることが重要だ。自分の成果と思われることこそ、実は誰かの下支えで成り立っている。それがわからない人は自分の主観でしか、無駄か無駄でないかを判断できない。
全体を俯瞰しながら「無駄」と「余裕」を見極めて、そこに手を打つことが良い仕事だと思う。それが多種多様な人材が存在する組織を活かすってこと。会社組織を社会に置き換えれば、世の中も同じ。一方の見方だけで無駄か無駄じゃないかを決めてはいけない。
「無駄」がたくさんある社会の方が幸せな世の中だ。その無駄を「余裕」をもって見守ってあげる社会がいいなーと思う。
それができれば本当に「無駄」なことは自ずと減っていく。だって自分で気づくことができないと「無駄」は減らないから。そうじゃないと「無駄」に固執してそれを守ろうとするに決まってる。それが巷で言う「既得権益」ってやつ。
無駄はあってもいいけど、大事なことはそれが入れ替わっていくこと。要はチャレンジし続けるということ。そうすれば、本当に無駄なこと、無駄を守り続けたいなんておかしなことはなくなるはずだ。そんな社会になるといい。
話は違うが僕の大好きなM440iは素晴らしい6気筒エンジンを持っている。でも4気筒エンジンの420だって普通に走れるし、同じ目的地まで行くことができる。だったら6気筒も4気筒も同じ、6気筒エンジンのM440iなんて無駄じゃないかと言われたら悲しい。
そうじゃないんだよ、6気筒の余裕がM440iのすばらしさを作り出しているんだよ!、そんなことを声高に言ってもクルマを単なる移動手段と思っている人たちには伝わらない。
6気筒って最高だよ、この音聞いてみてよ、きいーーん、ぶおーーん、すごいだろ、って言っても興味のない人からしたら、はあ?って感じだもの。
でもそれでいい、「無駄」と思うか思わないかは結局その人次第。だからそれを許容する「余裕」を持った我々でいることが大事。
人それぞれ、個性は大事、相手を尊重することが大事なんです。お互いが認め合う、そういうことだと思います。