人生はロングドライブ

いつの間にやら人生後半、気づき感じる日々を疾走中

神様はなぜ寿命を定めたのか?人生の意味を考える


僕は生を受けて今年で57年、若い人から見れば長生きしてんなーと思われるだろうが、自分にとってはホンの一瞬。幼稚園でのお遊戯会の出来事だってついこないだのことのように覚えている。

よく考えればこの57年が35回繰り返されれば2000年。そう考えれば、2000年前なんてたいした昔じゃない。そう思えてくるから不思議。よく1年が経つのは早いってみんな言うけど、要はそれと一緒。2000年も57年も一緒で、ホンの一瞬のことではないだろうか。


こう考えると歴史上の偉人さん達もなんか親近感を覚えてくるから不思議。


お侍さんがいた江戸時代が終わったのが150年くらい前のこと、その頃は坂本龍馬やら勝海舟らがいたわけだ。400年くらい前には織田信長や徳川家康がいた。1000年前になると平安時代だから源頼朝や平清盛、2000年前は弥生時代だから卑弥呼がいたわけだ。


僕らと彼ら(と言っては失礼だが)は、たいして変わらないフツーの人間に違いない。同じ時代に生きていたらそう感じるはずだ。だから歴史は繰り返すなんて言うけど当たり前のこと、だって同じ人間のすることなんですもの。


今でこそ人生100年なんていうけれど、一昔前は50年も生きれば立派に長生きだったと思う。50年なんてホント一瞬だ、57年生きてきた僕が言うのだから間違いない。人生なんて儚いもの。


でも寿命って何でこのくらいなんでしょうね。人間だれしも長生きしたいもの、昔から不老不死の薬を求めてなんてことがよく言われる。でもうまくできているもので、長くて100年。これは生物学的な理由にもよるかもしれないが、生命は新陳代謝を繰り返さないといけない宿命なのだと思う。


さっきも言ったけど、歴史は繰り返すというように人間(だけじゃなくて生き物すべて)はろくでもないんですね。長生きすると、きっと悪さをするようにできている。本能的に自分さえよければ的な欲望モードが発動するしがない生き物なんだと思う。

だから倫理とか哲学とか、それこそ宗教とかを自ら作り出す。丹羽宇一郎さんが「人間の本性」という本の中で言っていた、人間は基本的に動物だから「理性の地」より「動物の血」の方が強靭だと。「動物の血」を前にすれば「理性の血」なんて簡単に消えてしまうんだそう。なるほどなーと思う、歴史は繰り返すということにもきちんと理屈があるのだね。


だから人間や生きものには寿命、しかも短めの期限があり新陳代謝を促すようにできている。旨くできてるよねー、神様は素晴らしいです。

それにだからこそ、人間はその決められた期限を精いっぱい生きようとする。それが成長するってことに繋がり、その種自体の成長につなっていく。

ほんの一瞬でしかない、僕らの寿命、そこで何をするかは僕ら次第。幸い、僕らはそれを謳歌できる幸せな時代に生きている。歴史上の偉人だろうが、総理大臣だろうが大統領だろうが、会社の上司だろうがみんな一緒。その人たちが偉いからとへりくだっていても仕方がないし意味がない。お互いたかが知れている存在。


だから肩書だけで人を見ちゃいけないんだよね、歴史上の偉人も一緒。僕らにはそんなものに気を使っている暇なんてない。


意味なく敬い奉るなんてことなんてやめましょうね。相手に敬意を払うのは当然のことだけど人としての上下なんてそもそもないんだから、そんな幻想に惑わされないで自分が何をすべきか考えないといけない。

みんながこのように思うことができたら戦争なんてなくなるんだけどね。でも軍人もサラリーマンも一緒、どこの世界でも相手をコントロールしたがる人たちがいる。


限りある一生、そんなことにかまっている時間はない。一瞬しかないのだから、その一瞬を自分なりにどう生きるか、きちんと考えたいもの。僕はまずはサラリーマンの慣習から抜け出し独立することにチャレンジです、レベルが低いねー(でも大事)。頑張りましょー。

今も昔も、お蕎麦の前ではみんなただの人