
子供の頃、海を見ると「あー、海だー!」といつも叫んでいた。それくらい海を見ることは僕にとって非日常的なことだった。海を見るということは、わざわざ海を見ることを目的に出かける必要があった時代。
親が運転するクルマで首都高を走っていた際、ちらりと海が見える場所があった。その海を一瞬見ただけで大興奮していたことを思い出す。そんな海だから、見ることができた際は「あー、海だー!」とまさに自分が発見でもしたかのようにはしゃいでいた。
あれからウン10年たつが、海はそんなに珍しい存在ではなくなった。クルマで数十分も走れば山下公園に行くことができるし、なんなら会社のビルから毎日見ることもできる。
子供の頃、あんなに遠い存在だった海が、意外とすぐ近くにあることを知ったのは最近のことだ。交通機関の発達や、遠くまで見渡せる高層ビルが身近な存在になったことが影響しているのだろう。
現に今僕が住んでいるマンションも、海は見えないにしても、鶴見のつばさ橋は見える。実家の一軒家とそう離れていない場所なのに不思議なもの。子供の目線は低いというけれど、そもそも当時は建造物自体が低かった。
当時は、高いところから俯瞰して景色を見れる場所は、山の上や東京タワーなんかの展望台に限られていた。普段は、コンクリートの地面とお空、一軒家に囲まれた住宅街の隙間で遊ぶ毎日。行動範囲も限られる、そんな景色が日常だったんだよね。
こんな僕だけど、いまだに海を見ると「あー、海だー!」と声をあげてしまう。もちろん電車の中や会社で、毎日そんな声をあげていたら不審者でしかない。でも、思いがけず見つけた時はそんな声を出してしまう。
子供の頃の珍しいものという記憶が刷り込まれてしまっているのだろう。でも、それだけではない。
なんというか、海ってすごいなーというか、不思議というか、やっぱ非日常的な存在感をむちゃくちゃ感じる。今も海を見るたびにただただポカーンと見続けてしまえる存在。
美しくて不思議を超越した不可思議な存在、そして怖くて、恐ろしい、だからこそ安全地帯からそれを見れる好奇心、そんな思いがこちゃまぜになる。
こんなすごい海が日常にある人たちってどうなのだろう。海沿いの街に住んでいる人や漁師を生業にしている人などだ。ひとりドライブで海沿いの道を走る時、いつもそんなことを思う。
人によって日常と非日常はさまざま。だからこそ、自分にとっての非日常は大切にしたい。いつまでも海を見て、「あー、海だー!」と思える気持ちを持ち続けたい、そんなことを思う。
