人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

自分に依存する



僕ら人間は人に気を使う生き物。こんなこと言って嫌われないだろうか、嫌な思いをさせないだろうか、はたまた相手から見て自分はどう評価されているのだろうか、色んなことを思い考えながら人と接して生きている。

 

相手の顔色を伺いながら必要以上に気を使う人もいれば、俺の言うことが絶対みたいな自我の塊みたいな人もいる。でも、そんな人であっても自分より立場の高い人にはMAX気を使ってたりする。

 

人間誰しも外面というものがある。どんなタイプの人であっても、家に帰りひとりになると仮面を外してホッとする。時には怒り、憤り、理不尽な対応に嘆いたり、愚痴ったり、自分にしか見せない面がある。

 

裏表のない人間なんているのだろうか?

 

いるわけない。そんなのみんなわかりきってる。それなのになぜかみんな裏表のない人間を求めたがる。あの人は誰に対しても裏表なく接してくれる、あの人は誰にも愛される天然キャラ、あの人は決して泣き言を言わないし不満や悪口を言うことも無い。そんなわけないじゃないか。

 

僕らはつい他人に対して、僕らが思う通りの人を演じて欲しいと思ってしまう。そんなのあまりにも勝手すぎる。

 

これって結局、相手がどうこうというより、そう思ってしまう自分に責任がある。自分だって裏表があるのだから、相手にもあって当然、なのにそんなこともわからなくなってしまう。

 

人のそんな感情を利用してわざとつけ込んでくるやつもいる。詐欺師なんかその典型だけど、心理学なんかもそれに近い。スポーツの世界だって、心理戦を仕掛けたり、相手のココロを揺さぶるなんて当たり前のこと。規則で禁じられてるわけでもないし、スポーツマンシップに欠けるわけでもない。

 

結局、信じられるのは自分だけ。元も子もないように聞こえるかもしれないが本当のこと。だから相手を信じる前に自分を信じる、それにつきる。

 

自分が信じられないから、相手に信じてもらおうと思うのは間違いだ。相手に評価してもらおうと思ったりすると相手に騙されてしまう。だって相手にだって裏表があるのだから。自分にあるのだから相手にもあって当たり前(二回目)。

 

人を信じちゃいけないとは言わないけど、それより先に自分を信じることがホント大切(これも二回目)。

 

自分を信じた自分が相手を信じる、相手も同じように接してくれれば、信じあえる関係になる。そういうことなんだけど、これって意外と難しい。つい相手に依存してしまったり、甘えてしまったりする。

 

相手に依存するくらいだったら、自分に依存した方がまし。そのためには強いココロが必要だ。難しいことじゃない、自分を一番に考え、自分を信頼すればいいだけ。

 

それができればきっと楽しい人生になると思う。自律した自分ってやつ。何ごとも相手に求める前に自分ってこと。自信を持って行きたいものだよねー。

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