妻は外が薄暗くなってくるとカーテンをシャーっと閉める。電気をつけた部屋の中が外から見えるのがいやらしい。でも僕はまだ明るい空をずっと見ていたい。だから抵抗してカーテンをちょこっと開ける(気弱)。これがいつもの休日のルーティン。
まだ青い空が、だんだんと夕焼け色に変わっていく。外はまだ明るい。その明るさを慈しむように最後の最後まで眺める。どんだけ暇なんだと突っ込まないで欲しい。それだけ僕にとって休日は大切な存在なのだ。
あー、今日も何もしないで終わっちゃう。明日からはまたいつもの日常が始まる。57歳のオッサンだってサザエさんの時間になればもの悲しくなる、いくつになろうが変わらない世の中の真理なのだからホッといて欲しい。
週末の休日はいつもこんな感じだ。何かしなきゃ、どこか行かなきゃ、有意義な一日にしなきゃ、そして明日からの自分を変えなきゃ、こんな思いにとらわれる。だけど大概何もしないで終わる。だってあっという間に時間が過ぎるんですもの。休日くらい、もっとゆっくり時計の針が進んで欲しいものだ、まったく気が利かない(誰が?)。
だったのだけど、最近はそんなことを感じなくなった。というのも、休日は何もしないことに決めたから。別に休日だからって何かをしなきゃいけないこともない。あー午前中が終わっちゃう、もう2時過ぎちゃった、あー日が暮れていく―、いったい僕は何を恐れ、何に焦っていたのだろう。いま考えるとホント不思議ちゃん。
なんで、そう考えるようになったのかはわからないけど、いつの間にかそんな風になった。これが歳をとるということなのだろうか。でも、この「何もしない一日」が無茶苦茶ここちよい。
だって、何もしないでいいのよ、面倒くさがりの僕にとっては最高じゃないか。何もすることがないのと、何もしないのとではぜんぜん違う。月とスッポンほど違う(古い)。
休日の混んでる場所にわざわざ出かける必要なんてない。出かけるんだったら平日会社を休んで行けばいい。何もしないでのんべんだらりと過ごす、気が向いたら音楽聞いたり本を読んだり、その時にしたいことをすればいい。なんならお酒を飲んだっていい。
昼間に飲むお酒はなぜだかうまい。特にスパークリングワインは最高だ(ここで日本酒を選択すると違う方向にいってしまう、僕はそっちに行きたい訳ではない)。アワアワの入ったグラスを太陽に透かして見る。まだ外が明るいことを確認しながら飲む酒は最高だ。
眠くなったら寝ればいい、シエスタと言うやつだ。以前なら少しはカラダを動かさねばと散歩に出かけたが、最近はそれも面倒くさい。でかけるならBMW M440iに乗って近所を軽くドライブする。お気に入りの多摩川沿い土手の上、玉堤通りを窓やサンルーフ全開にして走る。
土や草の臭いってなぜか気持ちがいい。そこに付け加えて6気筒エンジンの音が聞こえてくるのだから楽しくてたまらない。ご近所ドライブだから一時間そこら。近くのケーキ屋さんでアップルパイでもお土産に買って帰れば、もう大満足。
そんな休日、そんな一日が最高の一日だということを最近知った。先にも言った通り、歳をとったからかもしれない、鈍感力ってやつが増したのだろう。いつの間にか世間一般という誰かさんと比較していたのかもしれない。自分は自分でいい、自分が気持ちいいこと、好きなことをすればいいと気づいただけのこと。
そう思うことによって、休日の時計の針も普通に進みだした。当たり前だよね、でもその当たり前に自分が気づくかどうか。そんなことに今更気づく日々なんだよー。