前回、サウナは嫌いだという話をした。57歳のオッサンが何が嫌いかなんて全く興味ないと思うが、ホントその通りだと思うので好きにさせて欲しい。
サウナ=整う=素晴らしいみたいなことが当たり前になっていて、サウナで整う=大人のたしなみとなっている。くどいようだが、そんなことはない。自分にとって何が素晴らしいかは、自分で決めればいいことだ。まわりがそう言うから、自分もそうする、気持ちはわからんでないが、そういう感覚からは卒業した方がいい。
ここで言う「整う」とは、心身のコンディション、特に自分のメンタル、ココロが落ち着くさまを表現していることだと思う。そういう意味では、僕にとって「整う」とはクルマに乗ることだ。もう、これしかない。
まさに僕にとっては「クルマで整う」、これが自分にとって必要で大事な時間。
クルマに乗っている時は、運転に集中しながらも、色んなことを考える。そして絶え間なく、景色が移り変わるなど刺激を受け続け、そのインプットから、気づきを得て考える、その繰り返しが続いていく。
極めてパーソナルな空間で、ひとり集中しながら外部との接触を繰り返す、しかも自分の意思で行きたいところ、見たいものに向かってクルマを操りながら進んでいくことができる。
お散歩だったら行ける範囲はたかが知れているが、BMW M440iと一緒であれば、お馬さん387頭分のパワーを身にまといグングン進むことができる。まさにモビルスーツ、自分がスーパーマンにでもなったかのような快感を得られる。
そんな楽しい時間の中で、いつしか自分のココロの邪念がどこかに吹っ飛ぶ。嫌なことは忘れ、新たな気づきがモチベーションとなって自分の人生をいざなってくれる。それがドライブ、まさに自分にとっては「クルマで整う」ということだ。
クルマを運転するなんて大したことないじゃないかと思われるかもしれないが、よく考えてみて欲しい。みんな慣れちゃっているだけ。こんなスゴイ乗り物を自由自在に操ることができるのは人類史上最高の発明と言っていい。
それなのにクルマに乗ることを単なる移動の手段としか思っていない。もちろん、そういう使い方もあるが、もっといい活用方法がある。それが先に言ったようにクルマと一体化して、自分のモビルスーツとして一緒にスーパーな時間を過ごすこと。
それにより多くの刺激を受けながらもココロに平穏をもたらしてくれる。まさに「整う」とはこのことだ。
もちろん人それぞれだから色んな「整い方」があっていい。料理をすることだっていいし、映画を見ることだっていい、思いっきり体を動かすことで整うこともあるだろう、要は自分自身で「整い方」を見出すことが大事。
ちなみに僕はクルマに乗っている時だけでなく、洗車したり、カッコいいなーとボケッと眺めたり、そんな時間も含めて「クルマで整う」ことができる。
バカじゃないの、と思われるかもしれないがホッといて欲しい。これが、人それぞれということだ。
EVや自動運転、クルマの形や使い方はどんどん変わっていくかもしれないが、僕にとって、クルマはずーっとこんな存在でいて欲しい。そんな人がいたっていいと思うよー。