人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

サウナで整わない


サウナで整う、最近の流行りでもあるようだが、僕には何が良いのかわからない。どちらかというとサウナは好きじゃない。

 

アツアツのムシムシになって汗をかいて水風呂に入ると、なんとなくスッキリはするのはわかる(ような気がする)。カラダから悪いものが排出され、きれいな自分になったような気がする(のもわかる)。

 

これがいわゆる「整う」ということなのだろう。旨い表現を考えたものだが、そもそもあのクソ暑いムッとした部屋にいること自体が不快だ。

 

髪もパサパサになるし、息苦しいし、なんでこんな我慢をしなくちゃならないのかと思う。ちっとも気持ちよくない、苦しいだけの我慢タイム。

 

温泉自体は大好きだ、大きな湯船に浸かった時のあの至福の気持ちよさ、それがサウナにはない。あぅーーーと変な声がどこからともなく発せられる、あの快感がまったく無いじゃないか。ハー、ビバノンノン。

 

一番嫌なのが段々になって座る場所に敷いてあるタオル。いろんな人がお尻をこびりつけたであろうあのタオルに次から次へと違う人が座っていく。バッチくないのだろうか。そう思うのは僕だけだろうか?人が変わるたびに新しいものに変えて欲しい。

 

まあそんなこと言っても、人それぞれだし、人の数だけ好き嫌いはあるだろうから勝手にすればいい。でも、サウナ=整う=素晴らしいみたいなことが当たり前のようになって、サウナで整う=大人のたしなみ、みたいな感じになっていることに違和感がある。

 

前にも言ったけど、世のお洒落さんって、自分の感覚に純粋に従っている人はどれくらいいるのだろう。何かお洒落の正解を求めているような気がしてならない。お洒落の正解=センスのいい自分みたいな感じ。

 

本来オシャレってそういうことではないと思う。自分のセンスに従って行動すること、それを他人が見て、あーあの人お洒落だなーって思うことだと思う。だから他人の評価が先ではなく、まず自分の感覚が先でなければならない。それこそがその人のセンス。

 

だからオシャレってオリジナリティ。そもそもセンスというのはその人だけが持っているもの。

 

流行や常識に乗っかることは、自分のセンスじゃない。世の中には流行りすたりがあって、それにいち早く乗ることがオシャレでセンスある自分になることだと思われているけど、そんなことはない。

 

サウナだけでなく、キャンプやアウトドア、古着にレトロ、こだわりの料理にアサイーボウル、いろんな流行があるけど、その先取りを目指すのではなく、自分のしたいコトをする。特にオッサンはそれを心掛けなければと思う。

 

自分が似合う服を着る、自分がしたいコトをする、誰に評価されるでもなく、自分の感覚で行動する。それが自分で納得いくものであれば楽しいし、人から褒められれば、それはそれで嬉しい。

 

それが自分のセンスってことだもの。だからセンスを磨くっていうけど、本来はすごく難しい。

 

だからこそ楽しく取り組んでいくのが正解、まずはひとっ風呂浴びて、スパークリングワインを飲むところから始めようかね。整い方も人それぞれだと思うよ。

強羅花壇の樽風呂にアヒルを持ち込んでみた