先日X(twitter)を見ていたら、GACKTさんがこんなことを言われていた。
「圧縮音源やBluetoothでは、聴感上「聞こえる音」だけが重視され、本来聞こえない無数の音が削がれている。」「聴感上では聞こえない、肌で感じる音が自然界には存在し、それが無意識のうちに脳に影響している。」「CDやレコードの音を良いヘッドホンで聴き、「心が癒やされる、救われる」という感覚をぜひ味わってみてくれ。きっと良い体験になる。」
なるほどなー、と思った。確かにレコードを聴いていると、なんとなく聞こえてくる音がまろやかに感じる、耳障りが良くて聞いていて疲れない感じ。そういう曲だからと思っていたけど、違うのかもしれない。そしてこれって音楽だけの話じゃないと思う。
先日の御前崎ひとりドライブ旅。波打ち際で、海風に煽られながら、大音量で波が石畳にぶつかる音を聞いた時、なんか脳が開けた感じがした。パッっと目が覚めたような感覚、そしてよくわからんけど幸せを感じた。
多幸感っていうんだろうね、この瞬間にここに来て良かったなーと心底感じた。これって、GACKTさんが言うのと同じで、聞こえない音を全身で感じ受け止めて、それが無意識に脳に突き刺さって、僕のココロにこのような感覚を与えたのではないかと思う。
これは音だけではない。知らない景色、その土地の臭い、足元の感触、そのような五感が刺激され、自分のココロに感動を与えてくれる。
もしかしたら、これこそが旅に出る理由ではないだろうか。観光地に行ったり、美味しいものを食べたりするだけが旅ではない。知らない場所で初めて見る景色や、その土地独特の臭い、普段は感じない空気感などを知らず知らずにカラダやココロが感じ取り、それが旅に出た満足感やココロの癒し、達成感につながるのではないだろうか。
そう考えると旅に出たいと思う気持ちに合点が行く。僕は先にも言った通り、名所史跡に行きたいわけでもなく、その土地土地にある空気感みたいなものを感じたいと常々思っている。だから、地元の道を走り、その脇にある家並みや、行き交う人々を見ることが大好きだ。なぜそう思うのかが分かったような気がした。
そう考えると、このような気持ちを得ることは旅だけではないということにも気がついた。頻繁に引っ越しをしたがる人や、クルマを買い替える人、仕事を変える人、こういう人たちは目の前にあるものが欲しいだけではなくて、そんなココロの刺激を求めて行動しているのかもしれない。
引越しみたいな大きな行動だけでなく、いつもの日常をチョコッとだけ変えてみる。そんなことでもいい。
いつもの通勤ルートを変えてみる、いつもと違う場所で仕事をしてみる、誰でも自分のルーティンみたいなものを持っていると思うが敢えて違う動きをしてみると面白い。些細なことでもいいから、いつもの日常を非日常に変えてみる。それは旅に出るのと同じ効用があるのではないだろうか。
人生はチャレンジの繰り返し、それがココロにときめきをもたらす。そしてそのチャレンジは、チョコッとしたことでも構わない。だからそのチャンスはいくらでも転がっている。
だったら実践するしかないよね、やるっきゃない、何より面白そー、そう思う。