人生はロングドライブ

多幸感あふれる人生を求めて、気づき感じる日々を疾走中

食に対するこだわりはない



美味しいものを食べるのは大好きだ。テレビのグルメ番組や孤独のグルメなんかを見ていいなー、今度行って見たいなーなんてことはよく思う。でも実際に行ったことはない。なぜか?だって面倒だもの、ただそれだけ。

よく有名なお店に並んでいる人たちを見るけど、よーやるなーと思う。僕からしてみたら気が知れない。並んでまで食べたいと思わないし、それなら空いている普通の蕎麦屋を選ぶ。だって時間がもったいないし、空いている店で食べるカツ丼だって普通に美味しい。

そりゃあ有名なお店で滅多に食べられないものを食べたら嬉しいし、幸せだなーと思うけど、そのために遠くまで出かけたり、並んで待ったりするのは嫌だ。そこまでするくらいならシウマイ弁当を買って家で食べたほうが全然いい。

元々外食が苦手なこともある。特にひとりでの外食は手持ち無沙汰で仕方がない。それなら何か買って家で食べたほうがまし、というかそちらの方を選択する。

サラリーマンだから単身赴任の経験もあるけど、飲み会のない夜はほぼほぼ家で食べていた。家で好きなお酒を飲みながら、買って帰ったお惣菜でテレビを見ながら食べる。

いつもの部屋でいつものイスに座り、着心地のいいい服を着て、勝手気ままな時間を過ごす。これが僕にとっては最高なの。だからカフェなんかでくつろぐ人たちの気が知れない。スナックやバーでひとり飲みに行く人の気も知れない。家でゆったりまったりに変えられるものはないと思っている。

最近はスパークリングワインをダース買いして、夕方になるとナッツを食べながらアワアワな黄金色の液体を楽しむ。YouTubeでお気に入りのクルマの動画を見たり、おぎやはぎの愛車遍歴の録画を見たり、お気に入りの音楽を聴いたりしながらの時間は最高だ。

そういう意味だと食にこだわりがないのかもしれない。いや、きっとこだわりはあるけど、それより家での自由な環境が優先されるのだと思う。その環境さえあれば、あとはそれなりの食事で十分と思うタイプ。

遺伝もある。88歳になる父親は、何でも文句を言わずに食べる。ひとり暮らしをしているので日曜日は一緒に昼飯を食べに行くのだが何を食べたいか、いつ聞いても何でもいいという。昔からそんな感じ。

でもこないだ、昼に行った近所のファミレスが混んでいて、違うところを探すことになった。どこに行くかなーと言ったら、厚木の豚丼がいいんじゃないかと言ってきた。厚木!?

本厚木の駅の近くにある「なまらうまいっしょ」という豚丼屋さん、以前も行ったことがある。そう言うなら行って見るかと、東名高速に乗って厚木まで豚丼を食べに行った。食べ終わると東名に乗って帰るだけという贅沢な昼食。

だから、父親も食にこだわりがないということではない。好きなモノはあるけど、出されたものは何でも食べるし、普段はこだわらない。食事より大事なことがある、その大事なものが何かはよく知らない。

食へのこだわりや好き好きは人それぞれ、自分が大切にしていることも人それぞれ、みんな優先順位が違うんだよね。だからグルメ好きな人は徹底的にこだわればいいい。でも有名だから、食べログの評価が高いから行くというのはどうかと思う。

何事も自分の考えで決めていきたいもの。人に合わせないで自分で決めようね。特にこれからの人生はそれが大事だと思うから。

ファミレスってテンション上がるよねー