欲しいものを買うとそれで満足してしまい、なかなか使わない、僕にはそんな悪癖があった。必要以上に大事にしてしまい、温存してしまう。洋服なんてその最たるもの。
購入して満足し、まだ着てないのにそのシーズンのセール期間を迎え、お安くなった服をショップで目にする。一度や二度のことではない。僕はその度に目をつむり、深呼吸をして忘れることに集中する。そしてタグを切って翌日その服を着る。周りの人は、セールで買ったと思っていることだろう。
最近はそういうことも無くなったが、それでもタグのついた服がクローゼットから出てくることがある。買ったときはそれで満足してしまい、今度どこか行く時に着よう、そんなことを思ってしまうのだ。
だから今は、購入したらまずタグを切る。そしてなるべく早く着る。近所の本屋に行く予定しかなくても着る。そうしないと化石化してしまう、自分で自分を追い詰めることも必要だ。
なんでこんなに大切にしてしまうのだろう。最近は自分が欲しいモノ、好きなモノしか買わなくなった。安いからいっか、セールだからいっか、好きなブランドの服だからいっか、ということがなくなった。
その結果、買ったものを必要以上に大切にしてしまう。使い始めてからも大事にするから、今度は物持ちが良すぎて、田舎のお婆さんもビックリの長持ちぶりを発揮することになる。
安いからというだけで、自分の満足感を毀損しながら生活するということは自分に嘘をついていること。だから、気に入ったものを頑張って購入して、しっかり使い続けることは悪いことではない。
だからこそ必要以上に大切にしすぎず、ガンガン使い倒すべきなのだ。でも、大事にしすぎてしまうのには、もうひとつの理由がある。僕は意外ときれい好きなのだ。
飲み会があるとわかっている日は、飲み会を意識した服で会社に出かける。いい服ということではなく、汚れてもいい服。だって、お気にい入りの服で煙もくもくのお店やたばこの臭いで充満した居酒屋に行くのは嫌じゃない。
それに僕はよく食べ物ををこぼす。焼き鳥のたれをズボンに垂らしたり、アヒージョの油を垂らしたりなんて日常茶飯事、そんな日に限ってお気に入りの麻のズボンをはいていたりする。
最近は会社にジーンズで行くことが多い。デンハムやacbなんかのキレイ目なジーンズ、でも飲み会があるとわかっている日はユニクロを履いていく。これであればどんな店だろうと問題ない、バッちくても小汚くても全然大丈夫(サラリーマンはけっこうな小汚い店に行く、しかもスーツで行く)。
でも僕もいい年したオッサンだ、そんなシチュエーションに応じて小賢しく着回しを考えることはもうやめたい。そう、気にいったものはどんどん使い倒す。それでこそ買ったモノに相応しい普段使いの自分になれるはず、とココロに決めた。
クルマ好きな人の中には、距離数が伸びると価値(下取り)が下がるのであまり乗らないようにする、もしくは普段乗りのクルマを別に用意する人がいるらしい。
僕はそんなのは嫌だ、気にいったクルマほど長く時を共有したい。その方が絶対に幸せだと思う。下取りは下がるかもしれないけど、その分の価値を享受するのだから当たり前。
気にいったものを徹底的に使い倒す、そんな幸せで楽しい生活を送りたいとココロに決めた。今日から実行する、いたって普通のことなんだけどね(ただの貧乏性じゃないかという意見もあるだろうがホッといてほしい)。