人生はロングドライブ

いつの間にやら人生後半、気づき感じる日々を疾走中

人間味のある人生を送る


妻の実家、静岡に住む義父は90歳になるが元気。いまでも赤い電動自転車に乗って買い物に行き、毎日自炊している。午前中は喫茶店を二軒はしごし、昼はそばを食べ、夕方になると晩酌、気が向けばスナックに出かける毎日を送っているらしい。

昔からの土地持ちで、役所勤めを引退した後は悠々自適に暮らしている。本人からしてみれば色んな苦労もあるのだろうが、はたから見れば羨ましい。

義父は自分に素直な人間で好きも嫌いもはっきり言う、だからまわりの人間も敵味方がはっきりしている。もちろん本人からしてみればそんなつもりはないのだろうが、だからこそ好かれる人からはとことん好かれている(ように見える)。

お墓参りに行っても知らない人がいると「あんた誰だね、俺はどこの誰々だ」と話しかける。当然ながら相手はポカーンだ。

隣町の初めての行ったうなぎ屋では知らない店員さんに○○さんですよね、と声をかけられる。どうやら店員さんが以前勤めていた整形外科で患者として通院していたことがあったらしい。いつも着こなしにこだわる義父はそこで看護婦さん達からダンディ○○と陰で呼ばれていたらしい。

そんな話をしながら屈託なく笑う義父には、相手に気を使うとか、どう思われたいとかそんな風は微塵もない。いたって自然なままなのだ。これを人間味というのだろうなといつもそう思う。

だからどこの店にい行っても「顔」だ。馴染みの店ばかりに通うのだから自然にそうなるのだろうが、だからと言って偉そうに振舞うでもなく、これまた至って自然な風体なのだ。

もちろん初見の店で店員の態度が悪かったりすると、それをすぐ口に出すし二度とその店には行かない。タクシーなんかでも愛層の悪い運転手さんだと途端に不機嫌になる。でもそんな所作が一気通貫していて何とも自然なのだ。

なんとも羨やましいと思うが、なりたくてこういう風にはなれないだろう。それこそ義父が育った環境や周りにいた人間に囲まれた中で育まれてきたものだと思う。

中途半端な都会であくせく働き、人に気を使いながらの人生を歩んでいる自分からしてみたら羨ましい限りだが、それこそ、その人の個性だ、自分は自分の個性で生きていくしかない、というか生きていくべきだ。いろんな人たちがいるから世の中は面白い。世の中全員が義父みたいだったら社会が成立しない。

夏のある日、近くの野球場まで高校野球を見に自転車で出かけたらしい。さすがに暑くて途中で自転車を降りてへたり込んでいたそうだ(そりゃ90歳だもの無謀でしょ)。すると軽トラで通りかかったおじさんが自転車を荷台に積み、家まで送ってくれたらしい。

なんとも昭和なエピソードだが、どうも義父にとっては当たり前、そんな毎日を送っているようだ。たぶんこういう人のまわりには、世話を焼いてあげたい人が一定数いて、そんな人が集まってくるのだと思う。

いまでも新しい友達ができるようで、一緒に温泉に行ったりするらしい。その人の知人の店で自分の洋服を買ったりすることもあるようだが許容範囲だろう。

野球は巨人で長嶋茂雄の大ファン、ラグビーは早稲田を応援し、新聞は朝日新聞(だけど最近静岡新聞に変えたようだ)。若いころは学校でテニスのコーチをしていたらしい、さすがに今はゴルフも卒業したようだが、毎日テレビでスポーツ中継を見ている。

珍しくもないよくある地方都市の高齢者のひとりだろうが、こういう世代は絶滅危惧種。これから誰しも歳をとる、義父を見ているともっと凡庸で大人な自分になりたいと思うがこればかりは難しい。

人間味のある大人、なりたくてなれるものではない。誰かいつか自分のことをこの様に書いてくれる人が現れるといいいが無理だろう。自分は自分の個性を生かして凡庸な自分になれればいい。

BMW M440iで初めて実家に行った際、家から出てきた義父がクルマを見てこう言った、「おー、良い色じゃないか」。こういうところが憎めないんだよねー。

日本平ホテルで義父と妻と娘